●中川村名の由来
天竜川を中心に結束する新しい村として村民から募集して定められた。
天竜川を中心に結束する新しい村として村民から募集して定められた。
陣馬形山 (じんばがたやま)標高1445m.
頂上からは、東に南アルプス、西に中央アルプス、天気がよいと北アルプスまでを眺めることが出来ます。(写真提供 中川村:寺平 宏 氏)
眼下には南北に流れる天竜川と、伊那谷が広がり、伊那谷随一の景観を楽しめます。
その昔、戦国時代武田軍のノロシ台があったと伝えられています。
坂戸橋 (さかどばし)
全長77.8m、幅5.5m、高さ20mの固定式鉄筋コンクリート橋。
昭和7年完成。
両岸には、桜とつつじが植えてあります。春には見事な桜のトンネルができ、通る人の目を楽しませてくれます。
養命酒発祥の地
(ようめいしゅ)
ある大雪の晩、塩沢宋閑翁が雪中に倒れていた旅老人を救いました。3年間塩沢家で過ごした旅老人が、塩沢家の恩義に報いるため、霊酒の秘製法を授けて去っていきました。それから、手飼いの牛に乗って深山幽谷を歩き、薬草を採取して秘醸を始め、慶長7年(1602年)「養命酒」と命名したと伝えられています。
中川村は、昭和33年3月31日新市町村建設促進法により、南向、片桐両村合併調印を完了し、同年8月1日より中川村として、発足し現在に至っている。
旧南向村は、大草村、葛島村、四徳村の合併村である。大草村は古来1か村であって、葛島村は旧来天竜川を隔て片桐村に属し、四徳村は旧来大草村に属していたが明治18年幾多の変遷を経て前記3か村が合併して南向村となり戸長役場を置いた。その後、昭和24年4月1日、本村最北端にあった日曽利部落が分離して、飯島村に行政区域の変更をした。
旧片桐村は、長暦年間従5位下信濃守為公の5男為基が船山城を築き、片桐郷を領した。その後数次変遷して明治元年天朝領となり、田島村、前沢村、小平村から成り、葛島村、七久保村、片桐町、上片桐村を合わせて片桐郷七か村といい戸長役場を設けた。明治8年に葛島村は大草に編入。明治14年8月片桐町、上片桐村が分離し上片桐に、七久保は七久保村に、田島、前沢、小平は片桐村となり、新村合併まで続いた。